ブラの名前

エピソードの総文字数=3,224文字

「いやいやいや、おまえの乳をガブリエルはあかんやろ!どういうネーミングセンスなんやあれは!」
 エレベータの中で思わず関西弁が出てしまうほど、気楽はとし江のキャラに衝撃を受けていたが、める子も
「だからあ、ミカエルシリーズだけでいいってあたしもずっと言ってるんだけど、なんと言っても社長だからね、聞かないのよ!」
 こっちだって、そこはつっこまないでほしいのよ、とめる子なりに苦労はしているようだった。
「ネーミングとかってね、難しいのよ。センスも問われるし、わかりやすさも必要だし。そもそも、ガブリエルを言い出す前の社長の案って何だかわかる?」
「そんなの、わかるわけないだろう!」
「えーっとね、夜の誘惑用ちょっとエッチなシースルーブラ、あんたならどんな名前つけるの」
 いきなり難問だな。童貞を殺す質問である。いやまあ、気楽が童貞であるかどうかを、示唆するものではないことは言い添えておくが。
「うーん。小悪魔的な魅力で攻めるってやつか。聖書に出てくる悪魔で言えばサタン・ルシファー・ベルゼバブあたりはわかりやすいが」
「あの人が考えたのは、もっとわかりやすかったけど、サイテーだったわ」
「なんて名前さ」
 ちょっと間をわざとらしくおいて、める子は答えを言った。
「……デーモン小胸」
 ちゅどーん!ぱふぱふ。
 エレベータの中で、崩れ落ちる気楽であっった。
「そ、それはガブリエルのほうがマシだな」
「でしょ?もうねえ、ボケてるのかもしれないけど、マジかもしれないから、あたしらだってそこは仕えるものとして際どいのよ」
「だいたい、ほんとにクリスチャンなのかね、あの婆さん」
 思わず疑ってしまうが、
「それは本当みたいよ」
とめる子は言った。
「家がカトリックの信者だったのもよく話に出るし、朝礼で聖書を引用することもたまにあるわ」
「だとすれば、逆に、今回ダイイングメッセージとやらが聖書にまつわるのは、この会社の中では自然なこと、ってことになるのか?」
「それはわかんないけど、社員に裏切り者がいるってこと?……それはそれでやりづらいし、やっかいだわ。コレクションが終わるまで黙ってればわかんないもの」
「確かに、それはそうだな。……まずは現物を見てみないと、何とも言えないが」
「そうね」
 二人は、それから問題のプロジェクトを遂行していたフロアでエレベータを降りた。

 フロアの扉を開けると、その階全体が大きな空間になっているらしい。今日だけは少しがらんとしたデスクだらけのフロア、奥にはデザイン要員が仕事をする専用の机や、布を扱えるようになっている広いテーブルなどもある。
「資料やらをしまってたのはこの一角」
 める子が案内してくれたのは、大型のロッカーやらが並ぶ保管のためのゾーンだった。
 その場所そのものは、特別に鍵がかかるわけでもなく、フロアの角にスペースが設けられているだけである。
「鍵なんかは?」
「かけてないわ。秘密のプロジェクトって言っても、それは対外的にはそうだけど、ここのチームの間では誰もが扱えるようになってる。みんな知ってることなんだもの、隠したって仕方ないでしょ」
 うーむ、と気楽は頭を掻く。
「密室ではないってことか」
「そうね。ほら、問題のロッカーだけど、誰でもアクセスできるわ。……今となっては、反省することだらけだけど。せめて毎日、どこかの別室で施錠すべきだったのは痛恨のミス」
「まあ、たいてい盗られるなんて想定してないわな」
 自分の研究室でさえそうだ。学生が入ってくるから日中は施錠も特にしないし、学術的には貴重な資料が確かにあるが、それを盗まれる想定で管理はしていない。
 それよりもむしろ、いつでも思いついた時に取り出したり読めたりするほうが、はるかに使い勝手がいい。
「宣伝部だってポスターやら雑誌掲載用に借りに来るし、鍵かけてしまっておくことそのものはナンセンスなのよ」
「ちなみに、他の階では大勢の社員さんが仕事をしていたようだが、彼らが入ってきたり、盗んだりする可能性は?」
「昼間なら今言ったように他部署の人間も来ることがあるけど、仕事が終わって帰る際はさっき入ってきたフロアごとの扉を施錠するから、私が帰った後は入れないはずよ」
 基本的には、プロジェクトのメンバー内部がまずは容疑者ということになるらしい。
「なるほど。鍵は安土だけが持ってるのか?」
「いいえ、プロジェクトのメンバーはこのフロアの鍵は持ってる。後はマスターがあるはずだけど、社員はどこにあるのかも知らない。あたしも知らないわ。でも、問題はそこじゃなくて、犯人が何のために聖書を置いたのかってこと」
 める子が、手袋がわりに自分のハンカチで手をくるみながら、ガラガラとロッカーを開ける。そこには問題の聖書がそのまま置いてある。
「誰もさわってないな」
「もちろん。万一警察沙汰になって、指紋とか取るかもしれないじゃん。だから聖書には触れてない。そのまんま」
 よし、と小さく頷いて、気楽はそっと聖書をのぞき込んだ。自分も触れないように最大限注意を払う。
「暗かったら、スマホでライトつけようか」
「ああ、頼む」
 陰になっている部分は後ろからめる子が自分のスマホで明かりをつけてくれた。
 聖書はあるページで開かれた状態で、十字架の形をしたしおりが挟まれている。
 しおりは不自然な形でななめになっていて、何かを指しているようにも見える。
「変だな。ふつう、しおりを挟む場合は、安土ならどこに挟む?」
「あたしは、ページの綴じてある奥側に挟むわ。落ちてしまうでしょ」
「だよな」
 十字架のしおりは、明らかにページの上に置かれていて、挟まれてはいない。
 これも犯人のメッセージなのか、と気楽は思った。
「……イザヤ44章か」
 ちょうど、十字架のしおりが指し示しているのは、それを矢印と解釈するなら、イザヤ書44章の8から9節あたりを示していることになる。

”我のほか神あらんや 我のほかには磐あらず 我その一つだに知ることなし 偶像を作る者はみな空しく彼らが慕うところのものは益なし”

「なにそれ?どういうことが書いてあるの?」
「簡単に言えば、偶像を作るなって感じかな」
 める子の質問に、気楽は続ける。
「神様が、自分だけが神なので、ほかのものを頼ってはいけない、と言っている部分と、偶像を崇拝しても無駄だ、と言っている箇所だな」
「へえ~。どっちだろうね。うちの社長に仕えるなって言ってるのか、それとも、偽もののおっぱいでブラを作るなって言ってるのか」
 そんな解釈をめる子がするので、思わず気楽は笑ってしまった。
「うまいことを考えるなあ。補正下着は信じるなって?そうだったらなかなかギャグが冴えているけれど、今はあまり先読みしないほうがいい。ほかの解釈だって、ありえるかもしれないしな」
 そのあたりは、もう少し考えたい、と気楽は思った。いずれにせよ、このページに何かの答えがあることには間違いないのだ。
 それから二人は念のためあらゆる角度から聖書や周りの写真を撮って、これ以上現場を荒らさないようにとそのエリアを出た。
 そして、がらんとしたフロアの中で、メンバーの話し合いができるスペースになっているところへ移動して、一息ついた。
 それにしても、何かひっかかるものがある。
 イザヤ書のことではない。める子の言うとおり、偶像を偽チチブラ『ミカエル』だと捉えるならば、話はすっきりわかりやすいことは確かだ。
 こんな偽ものの胸に騙されるな。それでいいのか。
 そういうメッセージだとすれば、短絡的だが明解ではある。しかし、なんだかそれだけの単純なものではないような気がする、と気楽は感じていた。
 何か、大事なことが抜け落ちているような気がして仕方がなかったのである。

◆作者をワンクリックで応援!

0人が応援しました。

◆コメント欄は未記入でもOK! 公開されないのでお気軽に。

ページトップへ