ペイガニズムの倫理と資本主義の精神 ――浪人ですが東インド会社に就職しました――

4-3. 早いよりは遅いほうが良いこともある

エピソードの総文字数=4,543文字

 ――海戦。それは、海上に浮かんだ城と城との崩し合い(・・・・)である。

 鋳鉄(カルバリン)砲の射程は数キロメートルに達する。波間に揺れる船同士での撃ち合いは、しかしそれほどの遠距離で撃ち合っては、まともに命中するものではない。数百発撃ち込んで、一発当たるかどうか。

 それ故に――艦と艦との砲戦は、結局のところ殴り合い(・・・・)になる。数百メートル以内の至近距離で砲弾を交わすような、互いの船体を削り合い、乗員を殺し合う血みどろの戦いに落ち着くのだ。つまり、戦いには勝っても負けても、運の悪い誰かは死ぬ。犠牲なき勝利は有り得ない。

 だが、メリメント号はそんな海戦の常識(ルール)には縛られない。

 ばか騒ぎする(メリメント)船は、魔女の足であるが故に。


      * * *


「――左舷砲列、斉射用意!」

 リチャードソンが叫ぶと、左舷側の砲門が開いた。デミカルバリン砲五門、セイカー砲二門の計七門の砲が、一斉に舷側から顔を出す。

 敵ピンネース船は、既にこちらの射程圏内に入っていた。それは即ち、こちら側も敵の射程に入ったことを意味する。総帆を広げてメリメント号に追いすがる敵船は、こちらに船首追撃砲(バウチェイサー)を向けていた。殺気立つ船員達が甲板上で動きまわる様すら、遠目に見て取れる。

 輸送任務も想定した大きめの積載量を持つメリメント号と比較して、ピンネースは細く絞られた船体に砲を満載している。火力は十四門対十二門――隙を見せれば喉元を食い千切られるのは明らかだ。

「ゾクゾクしますわ。太くて大きな、黒光りする(モノ)が、今まさに(わたくし)の一声を待っていますのね」

 艦尾甲板(クォーターデッキ)に、魔女たちが集結していた。リチャードソンが艦長ならば、ル=ウは副長の位置に立つ。そして瞳孔の開ききったフランの身体を、傍らで伊織介が支えている。
(なんでこの人(フラン)は、この状況でこんな表現しか出来ないんだろうか)
 存外に豊満なフランの身体を押し当てられて、しかし伊織介は敵の砲がこちらに向けられている現状に気が気でない。
 
 ――砲撃戦。伊織介にとっても、初めての経験ではない。オランダの奴隷だった時にも遭ったことがある。
 それは、ひどく理不尽な死をぶつけ合う営為だ。熟練の兵も、高貴な士官も、卑しい奴隷も、分け隔てなく運の悪い者から死んでいく。
(なのに――なんでこの魔女(ひと)たちは、こんなに平然としているんだ!?)
 伊織介の緊張を余所に、互いの艦はじわじわと彼我の距離を詰めていた。 
 
「まだ遠い……であるが。お嬢! そちらの聖女様(マドモアゼル)は大丈夫かね?」
 ル=ウは、リチャードソンを見て力強く頷いた。
「無論だ、艦長(キャプテン)
「信じたぞ、魔女団(カヴン)よ。タイミングは任せるのである!」

「フラン、どうだ」
「ええ……ばっちり捕まえてますわよ。まだですわ……まだまだ……我慢ですわよ……」
 ぞっとする程の静寂。船の軋む音、波の音、自分の鼓動すら聴こえてきそうだ。フランの声に、艦全体が耳を傾けているのが分かる。

「あらこれは……失礼。ル=ウ、皆様に回避指示を。――撃ってきますわ!」
「――総員、伏せろ!」
 ル=ウが叫び、自身も身を屈めた。遅れて遠くの砲撃音が聴こえ、ひゅっ、と砲弾が頭越しに通り過ぎる。――近くの索具(ロープ)が弾けて飛んだ。次いで、ぱらぱらと小さな木片が散乱する。
 おぞましい風切り音は、死の象徴だ。運悪く掠めでもすれば、人体など水風船のように容易に破裂してしまう。それが何発も飛んでくるのだから、まともな神経ではいられない。
「うっ、うわぁっ!」
 伊織介は呻きながら、しかし身を伏せることも許されない。支えるべきフランが身動(みじろ)ぎ一つせず立っているからだ。
「大丈夫、大丈夫ですわイイオリノスケさん。(わたくし)には当たらないことは、既に視えて(・・・)います」
 フランは優しげに囁いて、伊織介の頬を撫でた。
「フラン、まだなのか!」
 至近弾が水柱を上げて、飛沫が艦尾甲板(クォーターデッキ)を濡らす。ル=ウがたまらずフランを急かした。
「まだですわ。早漏は嫌われましてよ?」

「損害軽微だよ、艦長(キャプテン)! けが人も無しだ!」
 リズが素早く視線を走らせて叫ぶ。こちらの被害は、掠めた砲弾に索具が2、3本ほど切られただけだ。直ぐに修復出来る。
「ほうら、ね? 早気では満足できませんのよ」
 フランの言うとおり、敵船は逸って砲を斉射してしまったようだ。大慌てで弾込めをしている様が見て取れる。
 
「では、行きましてよ? 秒読み(カウント)、一つ……二つ……三つ! それでは――よしなに」

 合図――伊織介が息を呑む。

「左舷砲列――撃てッ!」

 フランの声に被せるように、ル=ウが鋭く叫んだ。直後、耳を劈く爆音を轟かせて、七門の砲が一斉に火を噴く。砲が反動で後退し、駐退索(ブリーチング)が砲を抑えこむ。衝撃はメリメント号の船体をも震わし、白煙が渦巻いて一瞬、視界を奪った。

「どうだ……!?」
 ル=ウが白煙の先を睨みつける。
 2発は敵船を飛び越え、1発は敵船の前方に落ちて水柱を上げた。しかし、1発は敵のフォアトプスルに穴を空け、もう2発は舷側を掠め、幾つかの索具を破壊した。そして最後の1発は、直撃……舷側に大穴を開けていた。

見事である(ブリリアント・ワーク)! 良くやったのである! この距離でよくぞ当てた!」
 リチャードソンが賞賛の声を上げる。遅れて水夫たちも歓声を上げた。

 7発中、4発の有効打。艦上砲はひどく精度が悪く、一射ごとにてんでばらばらに砲弾を吐き出すものだ。海面の揺れ、号令から発射までのタイムラグ、砲一つ一つの個性まで考慮すれば、驚くべき命中率である。
(すごい……!)
 伊織介も素直に感嘆する。疑いなく、人外の業であった。

「もっと賞賛をくださっても構いませんことよ? 次はさらに精度を上げてみせますわ」

 フランが眼を凝らして、虚空を睨んだ。

 今の彼女は常時受信(リアルタイム)託宣(オラクル)を視ていた。要は、無数の〝因果の糸〟の中から、最も有益な未来を選び取る占い(・・)である。
 〝解呪師(カニングフォーク)〟フランセット・ド・ラ・ヴァレット。その武器は、類まれな腕力で振るわれる巨大な十字架ではない(・・・・)。未来視の能力を活かした戦術指揮――砲戦の指揮を取れば、最大限の命中率を。野戦の指揮を取れば、最大限の戦果を約束する――それこそが、フラン最大の魔術であった。
 
 しかし、大砲七門分(・・・・・)もの占いは流石に負担が大きいらしい。伊織介は、支えたフランの額に玉のような汗が滲むのを見ていた。

「ル=ウ! 退避準備を。また撃ってきますわよ!」
 真剣な目つきで、フランが次なる予言(・・)を下す。
「莫迦な。装填が早すぎる!」
「そうですわね。でも、今回の相手は、そういう手合いのようですわ」

 敵ピンネース船は、メリメント号の砲撃に対して、防御行動を取らなかった(・・・・・・・・・・・)。敵の船員たちは、伏せることも隠れることもせずに、砲の装填を続けていたのである。


     * * *


「やはり、一筋縄ではいかぬようである」
 敵の砲撃が、メリメント号の周囲に水柱を立てる。飛沫を浴びるリチャードソンが、顔をしかめて敵船を睨んだ。
 被弾した敵のピンネースであったが、平然と角度を調整しながら真っ直ぐこちらに前進してくる。おまけに休みなく砲撃しながらだ。こちらは左舷側砲門を全て向けているというのに、僅かな怯みも見せない――大した度胸といえる。

「ル=ウ。風が、変わりますわ」
 フランが囁く。ハッとしたようにル=ウが舷側にかじりつく。
「……風の足だ!」
 ル=ウが海を見て叫んだ。彼方の海面に〝風の足〟――風が急激に変わる時に海面に立つ白波――が立ったのだ。

「風向、南に回るぞ! リチャードソン!」
 風が向きを変えるとともに、その勢いを増していく。メリメント号の帆は強まった風を孕み美しく膨らみ、ゆっくりと加速し出す。
適帆調整(トリムセイル)、進路そのまま!」
 リチャードソンの指示で、現在の風向に合わせ帆の開きが微調整される。
「この風ならば、こちらが優速であるな。さて相手はどう出るか――」
 左舷砲列も、まもなく発射準備が完了する。風の変化は、メリメント号有利に働く。微風という不利が解消された以上、敵にもはやアドバンテージは無い。相手もそれを分かっている筈――だが、ピンネースは逡巡すら見せず、順風を受け速度を増してこちらに突っ込んでくる。
「何故だ――? 何故退かぬ。蛮勇、とも思えんが」
 髭を撫でて思案を開始したリチャードソンに、リズの鋭い声が飛んだ。
「左舷前方に船影! ――あれは、大型船だ……!」
 リチャードソンが慌てて望遠鏡を伸ばす。
「ほう」
 風下側、遥か遠くに見えたのは、オランダの巨大な重ガレオン。大きさはメリメント号の倍もあろう。武装も数倍に違いない。まともにやり合って勝てる相手でないのは明らかだ。

「ピンネースは囮――いや、足止め役であるか。こちらの速度が劣った隙に一気に距離を詰め、こちらに戦闘機動を強いる。その隙に鈍重な大型船が接近する……見事であるな。我々はまんまと敵の策に乗せられていたようであるな、お嬢よ」

 リチャードソンは、歯を剥き出しにして笑う。髭面も相まって、その様はまるで猛獣だった。

「どうする、リチャードソン。転身して退却するか?」
「そうはさせてはくれまいよ。尻を向けた端から蜂の巣になるのが関の山である。であれば――」
「こちらから打って出る、ということだな」
「そうさな――時間との勝負である」

 言って、リチャードソンは不敵な視線で敵ピンネースを見据えた。


     * * *


「ほらほらァ、ビビった奴は撫で斬りだあ」

 オランダ船、ピンネース――その甲板上で、刀を振り回している者が居た。

「砲弾なんか怖かねェよう。俺を見ろってんだ。俺ァ現に立ってるだろお? ビビる方が死ぬんだよォ、だァったらビビらねェ方が生きるのさぁ」

 崩した着流し、腰には黒鞘、鷲鼻に隻眼――その大男は、物陰に伏せようとした水夫に詰め寄る。
「だからお前は殺す」
 言った瞬間――水夫の首は、音もなく甲板に転がった。恐怖に凍りついた表情のまま、生首は間抜けなほどごろごろと甲板を転がっていく。
「わかったかぁお前さん方ぁ。見ての通り、ビビった奴は死んじまうんだよお」
 味方を斬った(・・・・・・)大男は、へらへらと酒に酔ったように笑い声を上げる。

「さぁて、お嬢ちゃん方に、伊織介っつったか。早速の喧嘩だぁ。派手にやろうぜい」

 人斬り――フザ=アルフォンソは、彼方のメリメント号を睨んでいた。

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